トルストイの民話はどんな物語か。
- 植松 大一郎
- 2020年6月30日
- 読了時間: 3分
「人は何で生きるか」トルストイ民話集、中村白葉訳、岩波文庫、1932年第一刷、1985年に50刷というからかなりの発行部数といってよいだろう。
今日は閑話休題、である。トルストイの本にはいろんな民話風の話が多い。という事は彼は民話というものを聞き集めていたのか?これには解説がついていた。彼のところには民話の語り手が居候していたようで(彼が呼んだのかもしれない、その辺りは詳しくわからず)ある。彼は民衆に分かりやすく平易でありかつ簡素単純でありそれが普遍的である、また生きていくために役に立つという芸術論がある。そのためにその種の民話を集めていたのかもしれない。またこの民話といってもその語られたままではないそうで、岩波文庫50ページほどの物語に一年もかけて修正、推敲したものだそうである。
この物語の主題は、
人間が生きるために与えられているもの、与えられていないものはなにかという、ちょっとクイズのような話である。コロナ禍の中では清新な気を与えてくれる本である。
簡単にその物語の流れを追うと、貧しいロシアの靴職人が主人公。彼は家もなく財産などもなく住むところを間借りしている。奥さんと子供の明日のパンにさえ事欠くくらいの貧しさである。
この人が雪の中で、行きずりの倒れた若い男を助けることによって後に起こったいろいろな事件を通して、人は何によって生きているか、生きていけるのか、(表題はこういうように変更したほうが真実に近いのではないか)という事を平明な民話にのせて語ったものといえる。
中味ははぜひ簡単なので読んでほしい。いかにも民話的である。日本の鶴の恩返しや金の斧と鉄の斧の話のようなものであるがやはりそこはトルストイである。うまい。
行きずりの若い男の存在がこの物語の決め手となっている。ある意味、彼の芸術論のように簡素、単純しかし普遍的なテーマを扱っているさらに言えば深い、面白い、という事がいえる。
民話とロシア人
彼のこのような作品がどれだけ、このロシア人の心をつかんだか。下斗米信男氏(法政大学教授)の「神と革命」(筑摩選書2017年)というロシア革命論によると、ロシア革命はギリシャ正教の反対派である異端古儀式派が中核的存在であったという今までにないロシア革命論を発表している。トルストイ派の影響もかなりあったようだ。トルストイの提唱実践していた集団農場制についてもレーニンが学んだ。またトルストイ派の兵役拒否についてもレーニンは理解を示した。要するに民衆の中にあるこのキリスト教異端派といわれる、トルストイ派、古儀式派、鞭身派(ドストエフスキーの小説にたびたび出てくる)、分離派(これはドストエフスキーの罪と罰のラスコーリニコフがそうだ。名前が分離という意味。)ドーホボール教徒など、さらに多様な異端宗派がいるが、ある意味ロシア革命でさえこのような民俗的、土俗的なものを力として、成立している。(恐るべき多様性、土俗性、異端性である。)そういうロシア民衆の気持ちがこの民話の伝承者となり物語に結晶している。
(このロシア革命論の古儀式派問題は冷戦以後自由化されたロシアの学的研究の成果である。)
参考
こうした物語は、彼の「文読む月日」(上下、北御門二郎訳、ちくま文庫)にもたくさん出てくる。またこの翻訳者の北御門氏はトルストイの影響を受け、兵役拒否をしたので有名、その後トルストイの翻訳をいろいろ出している。
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